出雲市(歴史)概要: 出雲市の歴史は古く、神話の世界まで遡ります。和銅5年(712)に編纂された「古事記」や養老4年(720)に編纂された「日本書紀」によると、国引き神話では八束水臣津野命が領土拡大の為、佐比売山(三瓶山)と火神岳(大山)に綱をかけ国を引き寄せ、その網が長浜(稲佐の浜)と弓浜半島になったとされます。又、国譲り神話では葦原中国(日本)を統治すべき天照大神が天津神と相談し天忍穂耳、天菩比、天若日子を派遣したがことごとく失敗し、最後の建御雷は出雲国を支配した大国主の御子神である事代主と建御名方を下し、大国主も巨大な宮殿建設と引き換えに国を譲ったと記されています。この宮殿こそが出雲大社の起源にあたるもので、当時は熊野大社と共に出雲国一之宮、名神大社の格式を持ち、中世以降は事実上出雲国の祭祀の中心的な役割を持ちました。特に平安時代以降は東部出雲が朝廷や守護が支配しましたが、西出雲は出雲大社(杵築大社)の社家である出雲国造家が支配し、江戸時代に入っても大部分が松江藩領になったものの、出雲大社領や日御碕神社領は幕府から認められ特別視されました。
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