柿本神社(益田市)概要: 柿本神社は島根県益田市高津町に鎮座している神社です。柿本神社の創建は神亀年間(724〜729年)、第45代聖武天皇の勅願により当時の石見国の国司が柿本人麿の御霊を勧請したのが始まりとされます。
当初は高津沖にあったとされる鴨島(諸説ありますが鴨島は柿本人麿の終焉の地とされています。)に鎮座し人丸社と称していましたが、万寿3年(1026)の大地震と津波により鴨島自体が海中に没しました。大地震の伝承は当社だけでなくかなり広範囲で多数伝えられており、伝承通りだと20数mの津波が沿岸部を襲った事になるそうです。
明和9年(1772)に建立された亀趺碑である「正一位柿本大明神祠碑」には「万寿三年丙寅五月海騰山崩挙皆湮没」と刻まれており、江戸時代中期にも語り継がれていた事が窺えます。その後、御神像が漂着した松崎を霊地として社殿と別当寺である人丸寺が再建れました。創建当初から歴代領主や朝廷から崇敬庇護され第82代後鳥羽天皇の時代(在位:寿永2年1183年〜建久9年1198年)には石見国の国司平隆和が社殿の造営や社領の寄進が行われています。
江戸時代に入ると2代将軍徳川秀忠の命により石見銀山奉行の大久保長安が慶長13年(1608)に社殿を造営しています。
津和野藩領になると歴代藩主の崇敬社となり、寛文11年(1671)には津和野藩2代藩主亀井茲政が本殿(宝殿)、拝殿、楼門(随神門)が修復され、延宝9年(1681)には津和野藩3代藩主亀井茲親が現在地に遷座し、享保13年(1728)には社領13石を寄進しています。
享保8年(1723)に行われた鎮座1千年祭に正一位に列し「柿本大明神」の神号を賜っています。慶応元年(1865)に仏式を廃し柿本神社に社号を改称し別当寺院だった真福寺(旧人丸寺)は廃寺、明治時代に入り県社に列しました。
現在の柿本神社本殿は正徳2年(1712)に再建されたもので、入母屋、桧皮葺、妻入、桁行3間、梁間3間、唐破風向拝付、内部には須弥壇があり厨子が安置されているなど神仏習合の名残が見られます。柿本神社本殿は江戸時代中期に建てられた神社本殿建築の遺構として貴重な存在で昭和57年(1982)び島根県指定文化財に指定されています。
随神門(神社山門)は延宝9年(1681)に造営されたもので入母屋、桟瓦葺、五間一戸、12脚楼門、上層部高欄付、有栖川宮熾仁親王筆の神額「正一位柿本神社」、当地に遷座した当時の建物として貴重な存在です。
柿本神社の社宝である御法楽御短冊(6綴:霊元上皇・桜町天皇・桃園天皇・後桜町天皇・光格天皇・仁孝天皇の御製歌が治められた短冊)が昭和18年(1943)に国認定重要美術品に認定されています。祭神:柿本人麿命。
高津柿本神社:上空画像
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