益田兼堯の墓(益田市)概要: 益田兼堯は第15代七尾城の城主で、墓碑は島根県益田市七尾町桜谷に建立されています。案内板によると「 益田氏15代益田兼堯は、宝徳、享徳の際、周防の大内氏に属して京都付近に戦い寛正中、畠山義就を河内の国に攻め応仁の乱には山名宗全に属して諸所に転戦した。晩年、益田七尾山下に大雄庵をいとなみ関居した。文明年間石見を来訪中の画聖雪舟を崇観寺に迎えた。滞在中雪舟は「益田兼堯寿像」の名画を益田に留めた。文明17年(1485)兼堯は大雄庵に死去し、法名は全国瑞兼大雄という。」とあります。益田兼堯の墓は貴重な事から昭和46年(1971)に益田市指定文化財に指定されています。
益田兼堯の墓:上空画像
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-益田市教育委員会
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