津和野(武家町・商家町)・町並み

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津和野(武家町・商家町)
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【津和野町】津和野は正中元年(1324)に吉見頼行、頼直父子によって築かれた津和野城の城下町として整備された町です。吉見氏は長く当地を支配し国人領主化しましたが戦国時代に入ると大内氏に従うようになり重用されます。大内氏が陶晴賢の下克上により没落すると多くの家臣が晴賢に転じるなか、最後まで抵抗し天文23年(1554)には津和野城に立て籠もり3ヶ月を越える籠城戦を展開しています。その後は毛利氏に従いに陶氏を攻略、慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いで毛利家が西軍に与して敗北すると、周防国・長門国(長州藩)に減封され、吉見氏も当地を離れます。代わって東軍に与した坂崎直盛が当地に3万石で入封し津和野藩を立藩、城下町も藩都として整備拡張され領内の整備も随時行われました。元和2年(1616)直盛は大坂の陣で豊臣秀頼の正室で2代将軍徳川秀忠の娘、千姫を大坂城から救出、戦以前に千姫を助けたものに千姫を与えるとの約束から婚約を追ったが拒否され、千姫の誘拐計画を画策しました(諸説あり)。結局計画は露呈し、自刃に追い込まれ坂崎家は断絶、変わって亀井政矩が入封しています。政矩は津和野城の居館、藩庁を麓に移し、それに伴い外堀と城下町の変更が計画され、現在に近い町割が行われ城の手前が武家屋敷や家老屋敷、藩校が並ぶ、武家町、その外側に商家町が配され、山陰街道と津和野街道の起点となっていました。

現在の町並みは嘉永6年(1853)の大火後に再建されたもので城下町には藩校養老館(島根県指定文化財)、多胡家表門(島根県指定文化財)、津和野カトリック教会(国登録有形文化財)、津和野町役場(国登録有形文化財)、財間家住宅(国登録有形文化財)、旧河田家具店(国登録有形文化財)、分銅屋七右衛門本店(国登録有形文化財)、旧布施時計店(国登録有形文化財)、俵種苗店(国登録有形文化財)、古橋酒造場(国登録有形文化財)、呉服商ささや(国登録有形文化財)、橋本本店(国登録有形文化財)、河田家住宅(国登録有形文化財)、俵屋華泉酒店(国登録有形文化財)など文化財が点在し、良好な町並みを保持、「伝統的建造物群及び地割がよく旧態を保持しているもの」との選定基準を満たしている事から種別「武家町・商家町」、東西約160m、南北約700m、約11.1ヘクタールが名称「津和野町津和野伝統的建造物群保存地区」として国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。

城下町の保存地区外にも津和野藩主坂崎出羽守菩提寺の菩提寺である永明寺(本堂:島根県指定有形文化財)や亀井家の菩提寺永太院、津和野が産んだ偉人森鴎外の旧宅(国指定史跡)、西周の旧宅(国指定史跡)、信仰を集めた太皷谷稲成神社(津和野城の鬼門鎮守、日本五大稲荷)、鷲原八幡宮(天暦年間創建、津和野藩3大社、本殿、拝殿、楼門は国指定重要文化財、流鏑馬神事は津和野町無形民俗文化財)などが点在し、「山陰の小京都」とも呼ばれています。

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津和野(武家町・商家町)
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