石見銀山: 熊谷家住宅

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石見銀山(大田市)・熊谷家住宅
【 石見銀山 】石見銀山は鎌倉時代末期の延慶2年(1309)に大内氏第8代当主大内弘幸が当地へ視察に訪れた際、霊夢に北斗妙見大菩薩の化身が降臨し鉱脈の位置を御告げがあったと記録されています。その後一時廃れましたが戦国時代に神谷寿貞が再発見し大永6年 (1526)頃から本格的な採掘が行われました。石見銀山の採掘量が増大すると、その利権を求めて周辺の諸大名が争奪戦を繰り広げられ石見銀山周辺には多くの城郭が築かれました。江戸時代に入ると幕府が直轄で支配し世界でも有数な銀山として発展しましたが、江戸時代中期以降は産出量が激減し衰微しました。現在でも大森地区には伝統的な町屋建築が残され良好な町並みを見る事が出来る事から国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されユネスコの世界遺産に登録されています。

【 熊谷家住宅 】熊谷家住宅は島根県大田市大森町に位置する町屋建築で、享和元年(1801)に建てられました。熊谷家は祖は毛利家に仕える武士だったとされ、慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いで毛利家は西軍の総大将として敗北した事を受け当地の支配権を失うと熊谷家は従わず土着したと思われます。石見銀山が幕府の直轄領になるとそれに従い銀山附役人となりましたが、江戸時代中期に他家の家督を継いだ為一時断絶します。その後、田儀屋が熊谷家の名跡を継ぎ再興させると幕府役人から信任を得て郷宿や御用商人などの重責を担うようになり石見銀山御料内を代表する豪商となりました。国指定重要文化財。

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