松江市: 普門院

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概要・歴史・観光・見所

普門院(松江市)概要: 松高山普門院は島根県松江市北田町に境内を構えている天台宗の寺院です。普門院の創建は江戸時代初期の慶長16年(1611)、堀江吉晴が松江城を築城の際、賢清上人を招いて開いたのが始まりと伝えられています。

当初は願応寺と称し現在の松江市西川津市成付近にあり、豊国神社の別当寺院として寺領300石を安堵されていましたが、元和元年(1615)、大坂の陣で豊臣家が滅ぶと豊国神社の祭神が豊臣秀吉だったこともあり取り壊されます。

その後、松江藩3代藩主松江忠晴が白潟寺町堀尾河内守の下屋敷に境内を移し普門院と寺号を改称し寺領30石を寄進しています。

延宝4年(1676)に火災により焼失すると、元禄2年(1689)、当時の藩主松平綱近が松江城の北東にあたる現在地に移して城の鬼門鎮護の寺院とします。

境内にある観月庵は、享和元年(1801年)、当時の住職恵海法印が建立したもので、特に当時の藩主松平不昧の信任の厚かった細川三斎流宗匠荒井一掌が茶室建立に携わったことから、不昧公もしばしば観月庵で茶の湯を楽しんだと伝えられています。普門院観月庵は江戸時代後期の茶室建築の遺構として貴重な事から待合、露地と共に昭和47年(1972)に松江市指定文化財に指定されています。

普門院の鎮守社である稲荷社は、元々松江藩主松平直政が松本藩主時代、本城である松本城の城内に鎮座していた神社でしたが、移封に伴い松江城の城内に鎮座していた若宮八幡神社に合祀され普門院が別当寺院として祭祀を司りました。明治時代初頭に発令された神仏分離と松江藩の廃藩、松江城の廃城に伴い普門院境内に遷座しています。

又、小泉八雲が記した「怪談」の舞台でもあり「小豆とぎ橋:女の幽霊が橋の下で夜な夜な小豆を洗っているそうです。」は普門院のすぐ近くにあったとされます。山号:松高山。宗派:天台宗。本尊:大聖不動明王。

普門院:上空画像

【 参考:サイト 】
公式ホームページ
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-松江市
・ 現地案内板(小泉八雲ゆかりの地)-松江市


普門院:ストリートビュー

普門院:写真

普門院
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