興雲閣(松江市)概要: 興雲閣は明治36年(1903)、名称は「工芸品陳列所」だったものの明治天皇の御宿所を想定して建てられたもので木造2階建、入母屋、桟瓦葺き、桁行29.2m、梁間14.5m、外壁は下見板張りペンキ仕上げ、設計は和泉利三郎。
縦長の開き戸やその上部のファンライト(半円形の欄間)、バルコニーの手摺、持送り、丸柱など当時の洋風建築の要素を取り入れています。意匠は積極的に洋風建築を模したものですが技術や工法は伝統的なもので所謂擬洋風建築と呼ばれています。
明治40年(1907)には皇太子嘉仁親王御座所として改装され実際5月22日から25日まで皇太子が宿泊で利用しています。明治42年(1909)に「興雲閣」に改称、明治45年(1912)に階段を増築して「山陰鉄道連絡記念 物産共進会」の会場として利用されています。
興雲閣は松江城の2ノ丸に建てられている為、芥川龍之介や小泉八雲などには不評だったようで特に芥川龍之介が著した松江印象記では「嫌悪の情以外に何物も感ずる事が出来ない」と評しています。
現在に至っては島根県に残る数少ない擬洋風建築として文化財価値が高く貴重な事から昭和44年(1969)に島根県指定文化財に指定され、平成23年(2011)に歴史的風致形成建造物に選定されています。
興雲閣:上空画像
|