月山富田城・歴史・観光・見所

  島根県:歴史・観光・見所>月山富田城

概要・歴史・観光・見所

月山富田城(歴史)概要: 月山富田城は島根県安来市広瀬町富田に位置する城郭です。月山富田城は保元年間(1156〜1159年)、藤原景清(平家の武将)が築いたのが始まりとされます。

承久3年(1221)に佐々木義清が出雲国の守護になると月山富田城に入り本格的に築城したとされ、以来、歴代出雲守護職が城主として政治、行政、軍事の中心になります。

戦国時代に入ると、出雲守護代尼子持久が城主となり清定の代に失脚しましたが経久が復権します。経久は月山富田城を本拠に勢力を広げ大大名に成長します。

晴久、義久の代には出雲、隠岐、石見、安芸、備前、備中、備後、播磨、美作、因幡、伯耆など11カ国に勢力を広げましたが、同じく勢力を広めた毛利氏の台頭により次第に衰退します。永禄5年(1562)、毛利元就が出雲に侵攻、永禄8年(1565)から月山富田城の籠城戦が開始され永禄9年11月についに落城します。

その後、毛利家家臣が城代を歴任、永禄12年(1569)には尼子氏の旧臣山中幸盛が尼子勝久を擁して月山富田城を急襲しますが落城せず元亀2年(1571)拠点とした新山城が落城すると京都へ逃れています。

慶長5年(1600)堀尾吉晴が24万石を与えられ月山富田城に入城、しかし月山富田城は山城で領内でも偏った場所だった為、早くから松江城築城が計画され、慶長16年(1611)、3代忠晴が松江城に移ると廃城となりました。

月山富田城は貴重な事から昭和9年(1934)に国指定史跡に指定され、平成18年(2006)に日本100名城に選定されています。

月山富田城:上空画像

【 参考:サイト 】
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板
【 付近地図 】
島根県安来市広瀬町富田


月山富田城:ストリートビュー

月山富田城:土塁・空堀・写真

月山富田城 月山富田城 月山富田城 月山富田城 月山富田城

月山富田城・本丸・二ノ丸・城郭

千畳平
千畳平
千畳平
太鼓壇
太鼓壇
太鼓壇
奥書院
奥書院
奥書院
花ノ壇
花ノ壇
花ノ壇
山中御殿
山中御殿
山中御殿
三の丸
三の丸
三の丸
二の丸
二の丸
二の丸
本丸
本丸
本丸
尼子晴久墓
尼子晴久の墓
尼子晴久の墓
尼子興久墓
尼子興久の墓
尼子興久の墓
親子観音
親子観音(堀尾勘解由の墓)
親子観音
勝日高守
勝日高守神社
勝日高守神社
 
白
 
 
白
 
 
白
 


※ 相談や質問は大変失礼ですが、メールのみとさせていただきます。 回答によって不都合や不利益をこうむっても当サイトは一切責任を負いません。又、回答を直接的(当サイトの名前を使って)に交渉や請求の手段とすることはご遠慮くださるようお願い申し上げます。 予告なしに追加、書き替えを行いますのでご了承ください。尚、「島根県歴史観光案内所」は「島根県の歴史」、「郷土資料辞典−島根県」、「日本の城下町−山陰」、「城郭と城下町−山陰」、「山陰道二」、「パンフレット」、「案内板」、「関係HP」等を参考にさせていただいています。※プライバシーポリシー