乙女峠マリア聖堂(津和野町)概要: 明治元年(1868)、長崎県浦上から熱心な隠れキリシタンが津和野に連行され改宗を求められました。明治新政府は天皇中心の国造りを強引に進める為、仏教に対しては神仏分離令と廃仏毀釈運動によって弾圧し、キリスト教に対しても幕府の政策を引き継ぎ厳禁とされました。
明治元年に28名が送り込まれ、さらに明治3年(1870)には125名、この地で誕生した10名を合わせた163名が光淋寺に監禁され過酷な拷問により宗を迫られました。特に切支丹迫害と女郎屋への人身売買が世界各国から非難の対象となり明治5年(1872)に娼妓解放令を発令し明治6年(1873)にキリスト教が解禁されました。
津和野では明治6年(1873)まで拷問により改宗した人数が59名、殉教した人数が36名にのぼったと記録されています。又、牢に閉じ込められた1人安太郎は聖母マリアの降臨に立会い受難に対し励まされたとされ、日本唯一の聖母マリア出現の聖地とされています。これらの故事は世界に知られることになり昭和26年(1951)に岡崎祐次郎神父(ドイツ人:旧名パウロ・ネーベル)が乙女峠マリア聖堂を建立しました。
乙女峠マリア聖堂:上空画像
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