洞光寺(安来市)概要: 金華山洞光寺は島根県安来市広瀬町広瀬に境内を構えている曹洞宗の寺院です。洞光寺の創建は室町時代後期の明応年間(1492〜1501年)、月山富田城の城主尼子経久が父親である清定の菩提を弔う為に定光寺(鳥取県倉吉市和田)4世である大拙真雄禅師を招いて開いたのが始まりとされます。
一方、文正年間(1466〜1467年)に尼子清定が備後国高野山金尾に開創し、文明年間(1469〜1486年)に富田金尾に境内を遷したとの記録もあり、長享元年(1488)に清定が死去した事に伴い経久が尼子家の菩提寺として整備したのかも知れません。
洞光寺は領主である尼子氏の菩提寺として篤く庇護されたと思われますが、永禄9年(1566)に毛利家の猛攻を受け月山富田城は落城、当時の当主である尼子義久は大名家としては没落した為、寺領百貫文余が安堵されたものの尼子氏時代と比較すると衰微したと思われます。
さらに、慶長16年(1611)に堀尾吉晴が本城を松江城に遷し月山富田城が廃城になると、城下町にあった有力寺院も松江に遷る事になり洞光寺も従っています。
当地での洞光寺の再興には諸説あるようで寛永年間(1624〜1643年)に発生した度重なる大洪水により、旧月山富田城の城下町に壊滅的な被害を受け井塚金兵衛の支援を受け現在地に移転したされます。これだと、松江に移転した時期と殆ど間がない為、寺籍は松江に遷したものの、旧地である富田金尾にも祭祀施設、又は墓守施設が残され、その施設が水害にあったとも考えられます。
もう一説は寛文6年(1666)に広瀬藩が立藩した際に現在地に再興された説ですが、藩庁が置かれた広瀬陣屋の陣屋町には旧月山富田城の城下町にあった寺院の一部が移転、再興されている事から一定の説得力があります。
現在の洞光寺本堂は明和6年(1769)の火災で焼失後の寛政元年(1789)に再建されたもので木造平屋建て、入母屋、瓦葺、平入、正面唐破風向拝付、境内には尼子清定・経久の墓所や尼子氏歴代追悼碑が建立されています。山号:金華山。宗派:曹洞宗。本尊:釋迦牟尼仏。
洞光寺:上空画像
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