福神山間歩(大田市大森町)概要: 案内板によると「 この間歩(坑道)は、採掘にあたった山師個人が経営した「自分山」のものですが、一時期、代官川崎市之進(1767−78)のころには、代官所直営の「御直山」の坑道になったこともありました。「御直山」は天保15年(1844)には23か所まで増えますが、「自分山」は、享保14年(1730)に55か所もあったものが、天保15年には9か所となってしまいます。 石見銀山には、主な鉱脈が32本あったと伝えられており、そこから岩盤の亀裂に沿って30cm前後の幅で鉱石を含んだ支脈が延びていました。 この間歩は坑口が3か所あって、上段の坑は空気抜き坑、下段の2坑は中でつながり、説明板のある道路の下2mほどのところを通って銀山川の下をくぐり、後ろにそびえる銀山の最高地点「仙ノ山」の方向に掘り進んだと伝えられ、「仙ノ山」の逆方向に向かって坑口が開いている珍しい間歩です。」とあります。福神山間歩は龍源寺間歩、釜屋間歩、新切間歩、大久保間歩、本間歩、新横相間歩と共に平成10年(1998)に国指定史跡に指定されています。現在は危険な為、一般者の内部見学は出来ないようです。
福神山間歩:上空画像
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