出雲大社

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創建年不詳
祭  神大国主大神
格  式式内社(名神大)・出雲国一宮・官幣大社・勅祭社・別表神社
文化財 本殿(附:内殿1基、棟礼1枚、延享元年、大社造、高さ約24m、国宝)
秋野鹿蒔絵手箱(鎌倉時代初期、安元元年、黒漆地に蝶貝の螺鈿298個、縦23×横30×高16cm、国宝)
神饌所(西棟、延享元年、入母屋、桧皮葺、妻入、桁行3間、梁間3間、国指定重要文化財)
神饌所(東棟、延享元年、入母屋、桧皮葺、妻入、桁行3間、梁間3間、国指定重要文化財)
玉垣(寛文7年、桧皮葺、延長83間、国指定重要文化財)
楼門(寛文7年、入母屋、桧皮葺、三間一戸、八脚楼門、国指定重要文化財)
摂社大神大后神社本殿(延享元年、切妻、桧皮葺、妻入、桁行2間、国指定重要文化財)
摂社神魂御子神社本殿(延享元年、切妻、桧皮葺、妻入、桁行2間、国指定重要文化財)
摂社神魂伊能知比売神社本殿(延享元年、切妻、桧皮葺、妻入、桁行2間、国指定重要文化財)
摂社門神社本殿(西棟、延享元年、切妻、桧皮葺、妻入、桁行2間、国指定重要文化財)
摂社門神社本殿(東棟、延享元年、切妻、桧皮葺、妻入、桁行2間、国指定重要文化財)
八足門(寛文7年、切妻、桧皮葺、三間一戸、八脚門、国指定重要文化財)
観祭楼(寛文7年、入母屋、桧皮葺、楼造、桁行6間、梁間3間、国指定重要文化財)
廻廊(左右:寛文7年、各桁行5間、梁間2間、切妻、桧皮葺、国指定重要文化財)
西廻廊(寛文7年、切妻、桧皮葺、桁行14間、梁間2間、国指定重要文化財)
瑞垣(延享元年、桧皮葺、延長115間、国指定重要文化財)
摂社素鵞社本殿(延享元年、切妻、桧皮葺、妻入、桁行2間、梁間2間、国指定重要文化財)
摂社氏社本殿(南棟、寛文7年、切妻、桧皮葺、妻入、桁行1間、梁間1間、国指定重要文化財)
摂社氏社本殿(北棟、寛文7年、切妻、桧皮葺、妻入、桁行1間、梁間1間、国指定重要文化財)
末社釜社本殿(寛文7年、切妻、桧皮葺、妻入、桁行1間、梁間1間、国指定重要文化財)
末社十九社本殿(西棟、延享元年、十九間社流造、桧皮葺、国指定重要文化財)
末社十九社本殿(東棟、延享元年、十九間社流造、桧皮葺、国指定重要文化財)
宝庫(寛文7年、切妻、桧皮葺、平入、桁行2間、正面1間向拝付、国指定重要文化財)
会所(寛文7年、入母屋、銅板葺、妻入、桁行16.9m、梁間10.2m、国指定重要文化財)
銅鳥居(寛文6年、毛利綱広の寄進、明神鳥居、高さ5.78m、幅4.27m、国指定重要文化財)
赤絲威肩白鎧(兜・大袖付、室町時代、足利義教着用、高さ70cm、国指定重要文化財)
太刀 銘光忠(附 糸巻太刀拵、鎌倉時代中期、豊臣秀頼、国指定重要文化財)
紙本墨書後醍醐天皇宸翰宝剣代綸旨(鎌倉時代、神剣を差し出すように命じたもの、国指定重要文化財)
紙本墨書後醍醐天皇王道再興綸旨(元弘3年、建武の新政再興の祈願、国指定重要文化財)
紙本墨書宝治二年遷宮儀式注進状(宝治2年、正殿式造営遷宮記録文書、国指定重要文化財)
銅戈1口、硬玉勾玉1顆 神魂伊能知奴志神社境内出土(弥生時代、国指定重要文化財)
島根県出雲大社境内遺跡(旧本殿跡、柱根6点、礎板1点、鉄製品38点、国指定重要文化財)
銅製鰐口(慶長14年、豊臣秀頼が奉納、国認定重要美術品)
出雲の火鑚習俗(神事には古代の発火法である揉鑚法の火が採用、国選択選択無形民俗文化財)
神魂伊能知奴志神社本殿(島根県指定文化財)
大穴持御子玉江神社本殿(島根県指定文化財)
大穴持御子神社本殿(島根県指定文化財)
上宮本殿(島根県指定文化財)
上宮拝殿(島根県指定文化財)
出雲井神社本殿(島根県指定文化財)
紙本金地著色舞楽図(6曲1双、寛文年間、狩野派、皇室舞楽図を模写、島根県指定文化財)
鉄砲(附:銃箱、慶長17年、野田清泉尭作、徳川家光奉納、島根県指定文化財)
杵築大社舞楽用具(舞楽用具一式101点、江戸時代、寛文年間、島根県指定文化財)
二重亀甲剣花菱紋蒔絵文台、硯箱 2具(附:外箱1合、寛文7年、徳川家綱の寄進、島根県指定文化財)
紙本墨書出雲大社文書(237通36冊4帖(長寛2年〜明治時代、島根県指定文化財)
出雲大社参道の松並木(松の馬場、日本の名松100選、出雲市指定史跡)
命主社のムクノキの大樹(推定樹齢1千年、樹高17m、幹周5.8m、出雲市指定天然記念物)

神  事例祭:5月14・15・16日
場  所島根県出雲市大社町杵築東
備  考出雲大社の創建は神話の時代、大國主大神が天照大神に対して「国譲り(国土奉還)」が行われ、その条件として壮大な宮殿が天照大神の勅命により造営されたのが始まりとされます。当初の宮殿は基礎の柱は地下の地面に、屋根の千木は雲に届く程だったとされ、伝承通りとすれば高さ32丈(約96m、25〜30階相当)に及んだとも云われています(鎌倉時代初頭に出雲大社に参拝に訪れた藤原定長も雲にも手が届くようでこの世の物とは思えないと評しています)。これらの事は「古事記」や「日本書紀」に記載され、出雲国や出雲大社が当時から特異な存在だった事が窺えます。格式も高く、貞観9年に正2位に列し、平安時代に成立した延喜式神名帳には名神大社に列し、出雲国一宮として出雲国造が祭祀を司りました。中世に入ると歴代の武家政権である鎌倉幕府、室町幕府、江戸幕府が崇敬庇護し、江戸時代には社領5千石が安堵されました。一方、神仏習合し境内には神式である社殿群の他、仏教色の強い大日堂、三重塔、鐘楼など仏堂や仏塔も造営され別当寺院である鰐淵寺が大きく関わっていましたが、江戸時代の寛文年間(1661〜1672年)は神仏分離が進み、三重塔は名草神社(兵庫県養父市八鹿町石原)に梵鐘は西光寺(福岡県福岡市早良区:浄土真宗本願寺派)に移され主祭神も素戔嗚尊から大国主大神に復しています。江戸時代までは杵築大社と呼ばれていましたが、明治時代以降に「出雲大社」に社号を改め官幣大社に列格しています。
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