島根県日本三大(玉造温泉・石見銀山・松江城)

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島根県の日本三大・概要

島根県には日本三大○○が幾つか存在しますが、今回は日本三名泉(枕草子)の1つに数えられている玉造温泉と日本三大銀山の1つに数えられている石見銀山、日本三大湖城の1つに数えられている松江城を紹介します。

日本三名泉(枕草子):玉造温泉

玉造温泉・写真
[ 島根県松江市 ]
玉造温泉概要: 玉造温泉は古から知られた温泉で奈良時代に編纂されたという「出雲国風土記」には万病に効くだけでなく容姿も淡麗になることから神の湯と呼ばれていた事が記載されていたそうです。有馬温泉や道後温泉、白浜温泉、湯河原温泉、別所温泉、粟津温泉などと共に日本最古の温泉として玉造温泉を挙げる人も多く神話の時代から湧き出てきた神秘の温泉です。その後、一時廃れたようですが平安時代に活躍した清少納言が編纂した「枕草子」で「湯はななくりの湯、有馬の湯、玉造の湯」と記載され、この「玉造の湯」が現在の玉造温泉とされています。ちなみに「有馬の湯」は有馬温泉、「ななくりの湯」は諸説あり榊原温泉と別所温泉が有力のようで、「ななくりの湯、有馬の湯、玉造の湯」を日本三名泉と讃えています。江戸時代には松江藩のお殿様の湯屋が設けられ、度々湯治に訪れた記録も残っており大いに栄えたそうです。

玉造温泉・写真

玉造温泉・写真 玉造温泉・写真 玉造温泉・写真 玉造温泉・写真 玉造温泉・写真 玉造温泉・写真 玉造温泉・写真

日本三大銀山:石見銀山

石見銀山・写真
[ 島根県大田市 ]
石見銀山概要: 石見銀山(島根県大田市)の発見は花園天皇の御代(1308〜18)、大内弘幸が霊夢で北辰妙見菩薩が立ち銀山がある方角を告げられ、それに従い見つけ出したのが始まりとされます。その後は不明ですが大永から文永の頃、博多出身の豪商、神谷寿禎が改めて銀山の開発を行い大きく生産量を揚げました。戦国時代に入ると石見銀山の重要性が高まり大内氏、尼子氏、毛利氏によって所有権を巡っての争奪戦が行われています。江戸時代に入ると幕府が直接支配し初代石見銀山奉行として大久保長安が派遣され様々な計画が立てられ、2代奉行竹村丹後守によってその計画が実行され鉱山支配の基礎が固められていきました。石見銀山の最盛期には人口20万人、家屋2万6千軒、社寺100余軒とも云われ、空前の産出ラッシュとなり幕府の財政に大きく貢献しました。慶長から寛永年間までで最盛期を迎えその後徐々に産出量を減らしましたが明治時代以降も近代化を試みられました。

石見銀山・写真

石見銀山・写真 石見銀山・写真 石見銀山・写真 石見銀山・写真 石見銀山・写真 石見銀山・写真 石見銀山・写真

日本三大湖城:松江城

松江城・写真
[ 島根県松江市 ]
松江城概要: 松江城(日本三大湖城)は宍道湖湖畔の亀田山を利用した平山城で、宍道湖とそこに流れ込む大橋川、朝酌川などを巧みに取り込んだ名城の為、琵琶湖の膳所城、諏訪湖の高島城と共に日本三大湖城に数えられています。亀田山の山頂付近を本丸とし宍道湖側に2之丸、3之丸と階段状に配し、三之丸は松江藩主の居館として方形型の周囲を水堀で囲い厳重な守りとしました。本丸に建てられた天守閣は山陰地方唯一の現存天守閣で、4層5階地下1階、望楼型天守閣として特徴ある姿を見せています。天守閣には付櫓の地下からしか侵入出来ず外壁に設けられた狭間は94箇所を数える実践的な建物で随所に防衛の工夫が見られます。松江城天守閣は昭和25年に国指定重要文化財に指定されています。又、松江城は琵琶湖の湖水を利用した膳所城と諏訪湖の湖水を利用した高島城と共に日本三大湖城の一つに数えられています。

松江城・写真

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