物部神社

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創建年継体天皇8年(514)
祭  神主祭神:宇摩志麻遅命・客座:別天津神・鎮魂八神
相殿神(右座):饒速日命、布都霊神・相殿神(左座):天御中主大神、天照皇大神。
格  式式内社・石見国一宮・旧国幣小社・別表神社
文化財 太刀(銘:了戒、鎌倉末期、長さ64.5cm、反り2.3cm、鎬造、庵棟、大内義隆奉納、国指定重要文化財)
太刀(銘:雲生、鎌倉末期、長さ69.7cm、反り2.2cm、加藤明成奉納、島根県指定有形文化財)
物部神社本殿(享保3年、変形春日造、銅板葺、高さ16.3m、島根県指定有形文化財)
刀(銘:平長吉、応永年間:1394〜1427年、大田市指定有形文化財)
刀(銘:政俊、永正年間:1504〜1520年、大田市指定有形文化財)

神  事奉射祭:1月7日・鎮魂祭:11月24日
場  所島根県大田市川合町川合
備  考物部神社の祭神である宇摩志麻遅命は天香具山命や物部一族と共に尾張地方や美濃地方、北陸地方を平定、その後、石見国まで進軍するものの当地で没し八百山の中腹に葬られ信仰の対象となっていましたが、継体天皇8年(514)に天皇の勅命により改めて社殿を造営したのが物部神社の創建としています。又、一説には宇摩志麻遅命は白鶴に乗って鶴降山に降臨し、そこら八百山を眺め適地と悟り当地に居館を設けたとの伝承も残っています。当地には古くから物部一族が支配し、饒速日命と登美夜須毘売の御子神である宇摩志麻遅命(可美真手命)が物部氏の初代である事から、祖神として祀られたとも考えられます。石見国造は立国当初は大屋古命家が就任していましたが景行天皇の御代(西暦71〜130年)に物部竹子連が国造を就任すると物部家が神官と国造を歴任し、必然的に物部神社が石見国一宮に格付けされました(神官は平時代末期に地頭として当地に就任した金子家に代わっています)。日本三代実録によると貞観11年(869)3月22日に正五位下、日本三代実録によると貞観17年(875)に正五位上、日本三代実録によると元慶3年(879)9月4日に従4位下に列し、平安時代に成立した延喜式神名帳には式内社として列記されています。歴代領主からも篤く庇護され社運も隆盛し最盛期の天文年間(1532〜1555年)には社領1万3千石にも達しましが、戦国時代の兵火や度重なる領主の交代により天正年間(1573〜1592年)には2千石となり、江戸時代には300石と減少しています。
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