温泉津温泉(島根県大田市)・町並み

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写  真 備  考
温泉津温泉(島根県大田市)
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【温泉津温泉】温泉津温泉が何時頃から存在していたのかは判りませんが次のような伝説が伝えられています。1人の僧侶が巡錫で当地を訪れた際、日も落ちてきたので、小高い守山の山頂にあった廟で一夜を過し、翌朝、山を降りた所、一匹の傷ついた古狸が気持ち良さそうに泉に浸かり、暫く動かず、その後姿を消したので、僧侶は不思議に思いその泉に手を浸すと暖かい温泉だったことから、村人にこの話をすると、霊泉という話となり温泉が開かれたと伝えられています。平安時代には京の都にも温泉津温泉の存在が知られていたようですが、その後忘れられ、南北朝時代に修行の為に当地を訪れた修験僧伊藤重佐が改めて開湯しました。重佐は源泉近く岩の上に薬師堂を造営し、信仰を広げると共に、温泉を開放し周辺住民の健康増進にも大きく寄与した事から、その後裔が戦国時代に領主になった毛利元就から認められ湯守として正式に役職が与えられたそうです。

伝説の真偽は不詳ですが弘治4年(1558)に記録された「毛利元就同隆元連署状」にも温泉津の事が記載されている事からも少なくとも戦国時代には温泉の湧き出る港があった事は史実であるようです。同時に温泉津の港は石見銀山の外港として、石見銀山で産出された銀などの鉱物はここで船に積まれ大消費地へと運ばれた為、隣接する沖泊港と共に大きく発展する事になります。交通の要衝でもあり、温泉街に境内を構える恵b寺は大永6年(1526)に大内義興の本陣として利用し、天正15年(1587)には細川幽斎が九州出兵の際に立ち寄り親交のあった日慈と百韻連歌を催しています。慶長年間(1596〜1614)になると石見銀山の銀は銀山街道により陸路で瀬戸内海側に運ばれるようになりますが、当時の石見銀山は世界でも有数な銀山で、鉱山町も日本有数の都市として発展し、その消費を支える物資が引き続き温泉津から荷揚げされた為、当地も発展を続けました。江戸時代中期に入ると石見銀山の産出量は減産傾向になりましたが、温泉津は日本海側の良港として北前船の寄航地となり、多くの物資の集積場、中継地となり発展し、温泉も周辺住民だけでなく商人や海運関係者達などから利用され大いに賑いました。

以上のように温泉津温泉は港町と温泉町の両方の要素を持ち合わせる全国的に見ても特異な存在で、さらに歴史的に見てみも重要で、温泉の功能でも薬師湯は日本温泉協会の新基準で山陰地方唯一全て項目で「5」の評価を得た名湯とされます。温泉津温泉の温泉街は現在も良好な町並みを残し、「伝統的建造物群及び地割がよく旧態を保持しているもの」との選定基準を満たしている事から平成16年(2004)に東西約870m、南北520m、面積約33.7ヘクタールが名称「温泉津町温泉津伝統的建造物群保存地区」、種別「港町・温泉町」として国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。又、石見銀山との関係が強く「石見銀山遺跡とその文化的景観」としてユネスコの世界遺産にも登録されています。

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