美保関(門前町・港町)・町並み

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美保関(門前町・港町)
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【美保関】美保関は平安時代の出雲国の地誌である「出雲国風土記」によると、八束水臣津野命という巨大な神が出雲国が体に似合わず余りにも狭い為、伯耆大山を基点として「志羅紀(新羅:現在の朝鮮半島にあった国)」、「北門佐岐(隠岐の島の正面)」、「北門裏波(隠岐の島の背後)」、「高志(新潟県)」から土地を集め三穂碕、所謂、島根半島を創り上げたと記載されています。

何時頃かは不詳ですが、隠岐の島は天皇や公家な朝廷の要人の流刑地となった事から、隠岐の島の渡航地である美保関にも度々要人が訪れており、承久3年(1221)には承久の乱に敗れた後鳥羽上皇、鎌倉時代末期には政争で敗れた後醍醐天皇も仏谷寺(弘法大師創建、順慶上人再興)で留められた後にここから隠岐の島に流されています。中世に入り流通が頻繁になると海上交通の要所として重要視されると、室町幕府が直領として直接支配し、戦国時代にも美保関の既得権益を巡り周辺の大名が争いを繰り返しています。戦国末期には兵火により荒廃しましたが江戸時代に入ると松江藩(藩庁:松江城)が庇護した事で再興し、特に西廻り航路が確立すると、正式な港には指定されなかったものの、航路上の要地として多くの船が寄航し大きく繁栄しました。さらに、松江藩は遠見番所や御番所、台場、為替方、鯨方など藩の出先機関を設置し行政や軍事の拠点としても重要視され領内最大の商業港として発展しました。明治時代後期以降、国道や鉄道などの近代交通の整備や、重点港としての地位を剥奪されると重要性が失われ為次第に衰微し、積極的な近代化政策も行われなかった為、良好な町並みが残される結果となりました。町並みは港町らしい主要道でさえ車が通れない程の狭さで、そこから路地が伸び町屋建築が密集する独特な雰囲気があり、保神社から、仏谷寺を結ぶ約250mは「青石畳通り」と呼ばれています。中でも廻船問屋、船宿として栄えた「北國屋・和泉屋」の後裔で老舗旅館である美保館本館は明治41年(1908)に建てられた数奇屋風建築で国登録有形文化財に登録され異彩を放っています。

【美保神社】−美保関の守護神で鎮守である美保神社は、恵比寿信仰の総本社、出雲御三社(日御碕神社出雲大社・美保神社)に数えられる名社で祭神である三保津姫命は大国主命(出雲大社の祭神)と沼河比売(高志国の沼河に住む美しい女性:新潟県糸魚川市周辺には奴奈川神社など沼河比売を祀る神社が複数)の姫神である事も伝説を補完し、当地が古くから朝鮮半島や隠岐の島、北陸地方と関係が深い土地柄だった事を示しています。現在の本殿は文化10年(1813)建築、比翼大社造(美保造:大社造りの本殿は2棟並行に並んでいる)、桧皮葺、大変珍しく貴重で意匠的にも優れている事から国指定重要文化財に指定されています。例祭である青柴垣神事や諸手船神事は国譲り神話に因むもので、神話の一部を再現する構成となっています。

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