石見銀山遺跡:歴史・観光・見所

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石見銀山(世界遺産)・歴史:概要 このサイトは世界遺産に登録されている石見銀山の歴史的遺産を写真を交えて紹介しております。石見銀山は延慶2年(1309)、大内弘幸が発見したとされ戦国時代に本格的に開発されると飛躍的に産出量が増え大内氏や尼子氏、毛利氏などの周辺大名による争奪戦が繰り広げられました。江戸時代に入ると幕府の直轄地となり世界有数の銀山として代官支配による開発が続けられ幕府の重要な財源となりました。17世紀前半に最盛期を向かえ、実に世界中で産出した銀の総量の3分1が石見銀山産が占めオランダやポルトガルなどの諸国からも注視されました。江戸時代中期以降は産出量が現象し昭和18年に閉山しましたが現在でも随所にその名残を見る事が出来、特に大森地区と温泉津温泉の町並みは日本の文化財保護法に規定する重要伝統的建造物群保存地区に選定され、国内では14番目「石見銀山遺跡とその文化的景観」としてユネスコによる世界遺産に登録されました。登録理由には上記の歴史的背景はもちろん、生産された銀などの鉱物が日本のみならずアジアや欧米各国にも影響を及ぼした事や、採掘方法や景観が自然と一体となり技術や人の営みが自然環境と共生している点などが挙げられています。

石見銀山の歴史的見所
佐毘売山神社
佐毘売山神社
清水谷精錬所跡
清水谷精錬所跡
龍源寺間歩
龍源寺間歩
清水寺
清水寺
熊谷家住宅
熊谷家住宅
五百羅漢
五百羅漢
城上神社
城上神社
旧大森代官所
旧大森代官所

石見銀山:付近地図

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石見銀山の世界遺産登録対象遺跡一覧

銀鉱山跡と鉱山町
01−銀山柵内−石見銀山の中心地区で数多くの坑道(間歩)や近代の精錬所、かつての鉱山町跡などが残ります。
02−代官所跡−江戸時代、石見銀山は幕府の直轄地だった為、奉行又は代官が派遣されその行政の中心となった施設です。
03−矢滝城跡−標高634.2mの山頂に築かれた山城で鞆ケ浦道と温泉津沖泊道を抑える上での防衛上重要視されました。
04−矢筈城跡−標高480mの山頂に築かれた中世の山城で矢滝城とは対の関係。両城で温泉津沖泊道の抑えとしました。
05−石見城跡−石見銀山を支配する為の防衛施設で、周囲が岩壁の天然の要害です。曲輪や土塁、堀切などが見られます。
06−大森銀山−良好な歴史的町並みが残り重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。
07−宮ノ前地区−16世紀末〜17世紀初頭の遺跡。
08−熊谷家住宅−熊谷家は郷宿、代官所の御用達を務めた豪商。建物は国指定重要文化財に指定されています。
09−羅漢寺五百羅漢−石見銀山で働く労働者の信仰施設。安全祈願や死者への供養が行われました。

鉱山と港をつなぐ街道
10−鞆ケ浦道−石見銀山と鞆ケ浦を結ぶ街道で、全長約7km。当時は最短ルートとして利用されました。
11−温泉津沖泊道−石見銀山と温泉津・沖泊を結ぶ街道で全長約14q。瀬戸内海に抜ける街道が開削以前はメインのルート。

鉱山と港をつなぐ街道
12−鞆ケ浦−石見銀山を中興した神屋寿禎によって開発した港で、中世の雰囲気が残されています。
13−沖泊−中世から近世にかけての港、主に石見銀山の積出港として発展。戦国時代には水軍の拠点にもなっていました。
14−温泉津−温泉街と港町の良好な歴史的町並みが残り重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。

【 参考:サイト 】
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
公式ホームページ
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板
・ 現地案内板-大田市教育委員会
歴史・周辺観光・見所・写真
大森地区
大森地区
銀山柵内地区
銀山柵内地区
温泉津温泉
温泉津温泉
沖泊
沖泊
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