吉田町菅谷(たたら製鉄町)・町並み

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写  真 備  考
吉田町菅谷(たたら製鉄町)
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【吉田町菅谷集落】吉田町菅谷集落は鎌倉時代から鉄山師として名を馳せた田部氏が宝暦元年(1751)より経営した、たたら製鉄の精製所の1つで、精製所に携わる多くの人達が生活をして集落を形成し、現在で言う企業城下町のような存在で「菅谷たたら山内」などと呼ばれています。基本的にこのような鉱山集落は砂鉄の産出場に近い場所に設けられた事から人里から離れた山奥に位置しました。集落(山内)には製鉄を実際に行う「高殿」の他「元小屋:菅谷たたら山内の事務所的な存在、天保年間建築」や、「大銅場:ヒを割る作業小屋」、「鉄倉」、「米倉」、「長屋:職人の居宅」、「桂の木:御神木」、「金屋子祠:製鉄の守護神である金屋子神を祀る祠」、「金屋子化粧の池:金屋子神は女神なので、この池を鏡にして化粧をした」など製鉄に関係がある施設や史跡が点在し最盛期の文政年間には年間2百トンを生産し、約2千人余りの人達が生活していたとされます。大正10年(1935)に菅谷たたら山内での製鉄が廃止になると多くの人達は集落を離れた為、急速な過疎化となりましたが、現在でも静かな町並みが残され、往時の繁栄が垣間見る事が出来ます。

【菅谷高殿】菅谷高殿は木造平屋建、塗屋造り、入母屋、こけら葺、妻入、桁行10間(18.3m)、梁間10件(18.3m)、外壁は土壁鏝押え、内部の4つ角には押立柱が立てられ、中央には製鉄炉と鞴、奥には小鉄町(砂鉄置場)、炭町(炭置場)、土町(補修用の粘土置場)、村下座(村下と呼ばれる責任者の控え室)、炭坂座(職人の控え室)などの部屋が配されました。菅谷高殿は全国で唯一現存する高殿様式の建物として大変貴重な事から昭和42年(1967)に国指定重要民俗文化財に指定されています。

【田部家】−鎌倉時代から鉄山師として名を馳せ糸原家、桜井家と共に「出雲三名族」に数えられました。室町時代頃に旧吉田村に移住し土豪として戦に出る一方で、たたら製鉄を続けていましたが、戦国時代に主家が没落した事で製鉄業に従事していたところ、江戸時代に入ると松江藩は藩の主産業として製鉄業を保護した事で田部家に優先的に山林などが与えられました。これにより田部家は急激に大地主となり、大正時代に製鉄業を廃業した後も製材・製炭業で大きく繁栄しました。太平洋戦後に大きく山林が割譲されましたが、それでも尚広大な山林や土地を所有しており、その後も島根県の政治や経済に大きく影響力を行使しました。

【たたら製鉄】−たたら製鉄は「鉄穴流し」という手法で砂鉄を採取し、水路により選鉱場に運びます。選鉱場はでは大池や中池、乙池、樋など何段階も溜池があり、順々に重く質の良い砂鉄を沈殿させ選別しました。選別された砂鉄を高温で熱された「たたら炭」の間に落下させ、そこで科学反応させて鉄を生み出します。1度の操業で10数トンの炭が必要になる為、莫大な森林が失われる事になり、江戸時代後半の中国地方には多くの禿山が発生し問題視されたそうです。その後は改善され、一定の面積で計画的に伐採と植樹を繰り返し、概ね禿山問題を解決しています。

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