松江市(美保関): 美保神社

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概要・歴史・観光・見所
美保神社(松江市)概要: 美保神社の創建は不詳ですが天平5年(733)に編纂された出雲国風土記に記載されている三穗津姫命(高皇産霊尊の娘)を祀る美保の社とされています。延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳には式内社として記載され、古くから格式の高い神社として崇敬されました。もう一方の祭神である事代主神は大国主神の御子神で国譲りの際は美保関で釣りをしていたとされ、その後建御雷神との話し合いにのぞみ葦原中国の明渡しを果たしたと伝えられています。中世に入ると事代主神は「えびす信仰」と集合し出雲大社と共に「出雲のえびすだいこく」と称されるようになり、出雲大社を参拝に来る信者達は「大社だけでは片詣り」として美保神社も合わせて信仰するようになり、現在では「えびす神社総本宮」や「ゑびす様総本宮」などと呼ばれ漁業、海運業者などから篤く崇敬されるようになりました。歴代領主や朝廷からも崇敬され後醍醐天皇が隠岐に流される際には美保神社で戦勝祈願したとされ、元亀元年(1570)に兵火により社殿が焼失すると吉川広家が再建しています。江戸時代に入ると歴代松江藩主から庇護され特に格式が高い美保大明神・大野高宮・日御崎大明神平浜八幡宮須佐大宮横田八幡宮は単独で藩の支配下となり「一社一令社」と呼ばれました。明治18年(1885)に国幣中社に列し、明治21年(1888)には明治天皇より御剣一口を賜り、戦後は別表神社となりました。現在の本殿は文化10年(1813)に再建されたもので大社造の本殿を2棟並列させ装束の間で連結した独自の形式で「美保造」、「比翼大社造」等と呼ばれています。美保神社本殿は江戸時代後期に建立された大社造の本殿建築を独自の配置をしている極めて貴重なことから附として棟札18枚と共に昭和57年(1982)に国指定重要文化財に指定されています。神門(神社山門)は切妻、銅板葺、三間一戸、八脚単層門、太い注連縄を掲げています。拝殿は切妻、妻入、桧皮葺、正面切妻向拝付、外壁は柱のみの吹き放し、下がり壁は真壁造り素木板張り。出雲國神仏霊場8番。祭神:事代主神、三穂津姫命。

美保神社の文化財
 ・ 美保神社本殿(附:棟札18枚)−文化10年−国指定重要文化財
 ・ 諸手船(2隻)−樅材、刳抜き、主材造り−国指定重要有形民俗文化財
 ・ 美保神社奉納鳴物(846点)−打楽器224点など−国指定重要有形民俗文化財
 ・ そりこ(1隻)−樅材、刳抜き、主材造り−国指定重要有形民俗文化財
 ・ 紙本墨書手鑑−折本画帳仕立て、計279葉の書跡−県指定有形文化財
 ・ アバニ(附:櫂17本・アンバ20本)−沖縄糸満の漁船−県指定有形民俗文化財
 ・ ともど(1隻)−樅材、刳抜き、主材造り−島根県指定有形民俗文化財

美保神社
美保神社
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