染羽天石勝神社(益田市)概要: 染羽天石勝神社は島根県益田市染羽町に鎮座している神社です。染羽天石勝神社の創建は神亀2年(725)、天石勝命の分霊を後裔とされる春日一族が勧請したのが始まりと伝えられています。
天安2年(857)に正一位を授けられ、延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳には式内社として記載されました。古くから神仏習合し承平元年(931)には別当寺院として勝達寺が建立され瀧蔵権現と呼ばれるようになりました。
中世に入ると領主(七尾城の城主)である益田家から崇敬庇護され社運も隆盛しました。
江戸時代に入ると幕府から庇護され寛文5年(1665)の4代将軍徳川家綱から万延元年(1860)の14代家茂まで朱印状を賜り社領が安堵されました。
明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏式が廃され勝達寺も廃寺となり本尊の不動明王(平安時代作、一木造、国指定重要文化財)も鎌倉市の極楽寺に移されました。
現在の染羽天石勝神社本殿は天正9年(1581)の火災で焼失後の天正11年(1583)、当時領主益田藤兼と元祥が再建したもので三間社流造、檜皮葺、桁行3間、梁間3間、正面3間向拝付き、外壁は真壁造白漆喰仕上げ、正面1間分は柱のみの吹き放し、左右浜縁、高欄、脇障子付。
染羽天石勝神社本殿は室町時代後期に建てられた神社本殿建築の遺構として大変貴重なことから昭和4年(1929)に国指定重要文化財に指定されています。
染羽天石勝神社儀式殿兼社務所は木造平屋建て、入母屋、桟瓦葺き、桁行7間、梁間4間、外壁は真壁造り板張り、一般的な神社では拝殿にあたる建物です。染羽天石勝神社神門は切妻、銅板葺き、一間一戸、四脚門。
祭神:天石勝命。配祀:伊弉諾神、伊弉册神、天照大神、國常立神、事解男神、速玉男神、忍穗耳神、瓊瓊杵神、彦火火出耳神、葺不合神、軻遇突智神、埴安姫神。
染羽天石勝神社:上空画像
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板(本殿)-益田市教育委員会
|
|