豊田神社(益田市)概要: 豊田神社は島根県益田市横田町に鎮座している神社です。豊田神社の創建は孝元天皇の御代(紀元前214〜紀元前158年)、天津大神多祁阿久豆魂命の御霊を勧請したのが始まりと伝えられています。
延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳に式内社として記載された「菅野天財若子命神社」の論社で、これが正しければ少なくとも平安時代には中央にも知られていた古社だった事になります。ただし、「菅野天財若子命神社」の論社は複数社あり、益田市戸田町に鎮座している菅原神社(小野神社)、益田市匹見町に鎮座している若宮神社が論社とされます。
長元8年(1035)、天津大神多祁阿久豆魂命が荒神になり、それを鎮める為、三井寺(滋賀県大津市)の住職明尊僧正が9個の壷に酒を入れ封じました。中世に入ると領主豊田氏から崇敬庇護し正元元年(1259)には神宮寺を開き育王山石塔寺大権現と呼ばれるようになっています。江戸時代に入ると津和野藩主亀井家から庇護され宝永3年(1706)には地中から9個の壷を掘り出し御神体としています。
明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏式が廃され、明治3年(1870)に社号を豊田神社に改称、明治7年(1874)に郷社に列しました。
元々は境内背後に控える御山の中腹(現在の豊田神社奥之院)に鎮座していましたが、参拝が困難な為、明治44年(1911)に現在地に遷座しています。
豊田神社拝殿は木造平屋建て、入母屋、桟瓦葺き、妻入り、間口3間、奥行き4間、正面1間軒唐破風向拝付き、外壁は真壁造り板張り、三方浜縁、高欄付き。豊田神社本殿は一間社流造、銅板葺き、正面1間向拝付き、外壁は真壁造り板張り、三方浜縁、高欄、脇障子付。祭神:天津大神多祀阿久豆魂命、外24柱。
豊田神社:上空画像
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板(由緒・概略)-豊田神社
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