須我神社(雲南市)概要: 須我神社は島根県雲南市大東町須賀に鎮座している神社です。須我神社の創建は不詳ですが、和銅5年(712)に編纂された「古事記」によると須佐之男命が八岐大蛇を退治した際、妻となった稲田比売命と共に八雲山の麓を訪れ「私(須佐之男命)がこの地に来たら、心が清々しい気持ちになった。」と言われたことから須賀という地名の由来となり、日本で始めて宮殿を建立されたと記されています。
又、須佐之男命はこの地で「 八雲立つ 出雲八重垣妻ごみに 八重垣つくる その八重垣を 」の和歌を日本で初めて詠んだことから和歌発祥の地、出雲の地名の由来とも云われています。天平5年(733)に編纂された「出雲国風土記」でも須我社として記載され、古くから須賀小川流域12ヵ村の総氏神として崇敬されてきました。
天文年間(1532〜1554年)、当時の地頭中沢豊前守は信濃国諏訪の出身だったことから諏訪大社(長野県諏訪湖周辺:上社本宮・上社前宮・下社春宮・下社秋宮)の分霊を勧請合祀して以後「諏訪大明神」と呼ばれるようになりました。
明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏式が廃され、明治22年(1889)に旧社号である須我神社に復し、明治25年(1892)に県社に列しました。祭神は須佐之男命、稲田比売命(御妻神)、清之湯山主三名狭漏彦八島野命(御子神)。配祀は武御名方命(諏訪大社の分霊)。八雲山中腹にある夫婦岩が奥宮とされています。
須我神社拝殿は木造平屋建て、入母屋、銅板葺き、平入、桁行3間、梁間2間、正面1間唐破風向拝付き、外壁は真壁造り板張り。須我神社本殿は大社造、切妻、銅板葺、妻入、間口1間、奥行2間、外壁は真壁造り板張り、四方浜縁、高欄付き。須我神社神門は切妻、桟瓦葺き、三間一戸、八脚単層門、外壁は真壁造り板張り、左右には随身像が安置されています。
須我神社:上空画像
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