雲南市(歴史)概要: 雲南市の歴史は古く木次町万場遺跡では縄文時代に製作された彩文土器や水路、弥生時代、平安時代の土器が発見されています。加茂岩倉遺跡では約45cm銅鐸が20個、約30cmの銅鐸が19個発見され、1つの遺跡でこれ程多量に銅鐸が見つかるのは極めて稀で数では日本最多とされます。又、4世紀初期に築造された松本古墳1号墳は島根県最古の前方後円墳とされ、4世紀中頃に築造された神原神社古墳では 「景初三年:239年」の銘のある「三角縁神獣鏡」が発見されるなど、当時の雲南市では巨大な権力のある豪族が存在していたと推定されています。
鎌倉時代に入ると諏訪部氏が地頭としてこの地を支配し、その後裔が三刀屋氏を名乗り大きな勢力と名乗ります。戦国時代に入ると三刀屋氏は尼子氏の支配下に入り、居城である三刀屋城は尼子氏の居城である月山富田城の重要拠点の1つとして尼子十旗と呼ばれました。尼子氏が滅ぶと三刀屋氏は毛利氏に従いますが天正16年(1588)に所領を没収となります。
慶長5年(1600)の関が原の戦いにより毛利氏は大きく領地を減らし、変わって堀尾氏が月山富田城に入ります。堀尾氏は三刀屋の地を重要視し城も改修されますが一国一城令により廃城となります。又、雲南市は古くから砂鉄の産地としても知られ、吉田町では製鉄業の企業城下町として発展、三刀屋は出雲街道沿いの物資の集積地として発展しました。
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