旧大森代官所(大田市)概要: 石見銀山は中世に発見されて以来、 全国有数の銀山として大内氏・尼子氏・毛利氏による支配権を廻り戦が繰り広がれました。江戸時代に入ると幕府の直轄地となり、初代奉行となる大久保長安が陣屋構えの代官所を設け、2代竹村丹後守の時に、現在の地に移りました。当初の支配領域は153ヵ村4万8千石で幕府の財政を支える石見銀山の管理運営を任されていた事から大変重要視されていました。延宝年間(1673〜1681)に代官所となり、事実上格下げとなりましたが江戸時代には延べ59名の代官が赴任し当地方と石見銀山の行政の中心地として大きな影響力を持ちました。
現在の長屋門は大森代官所の遺構で文化12年(1815)に建てられたもので、木造平屋建、切妻、桟瓦葺、外壁は白漆喰仕上げで、腰壁は下見板張り縦縁押さえになっています。長屋門は正門の他、門番詰所や仮牢の機能もあり、その名残が見られます。
又、敷地内には「抜け穴」として利用されたと伝わる2つ穴があり、緊急時には代官がここを利用して代官所が脱出する仕組みになっていたと思われます(1つは城上神社、1つは勝源寺に通じていたと伝えられています)。
現在の石見銀山資料館は明治35年(1902)に迩摩郡役所として建てられたもので木造平屋建、入母屋、桟瓦葺、明治時代に建てられた郡役所建築の遺構として貴重な存在です。
旧大森代官所は江戸時代、幕府の石見銀山支配の遺構として大変貴重なことから昭和44年(1969)に国指定史跡に指定されています。
いも代官ミュージアム(石見銀山資料館):上空画像
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