山中鹿介幸盛公供養塔(安来市)概要: 山中鹿介幸盛公供養塔は島根県安来市広瀬町富田に位置しています。案内板によると「 幸盛公の遺徳をしのび、慶長7年(1602)堀尾吉晴公の御内儀(妻)によって建てられた。」とあります。山中鹿介幸盛公供養塔は月山富田城の一角に境内を構えている巌倉寺に設けられた堀尾吉晴の墓の隣地に建立されています。形式は石造の宝篋印塔で堀尾吉晴の墓が約3mあるのに対してはかなり小規模で質素な印象を受けます。
山中鹿介幸盛は江戸時代中期以降、悲運の忠臣として民衆にも知られるようになった為、墓や供養が全国各地で建立されており、阿井の渡し(岡山県高梁市阿井)、観泉寺(岡山県高梁市落合町)、幸盛寺(鳥取県鳥取市鹿野町)、本満寺(京都府京都市上京区今出川上)、玉林院(京都府京都市北区紫野)、金戒光明寺( 京都府京都市左京区黒谷町)、徳雲寺(広島県比婆郡東城町菅)、静観寺(広島県福山市鞆町後地)などで見られます。堀尾吉晴の正室が何故供養塔を建立したのかは良く判りませんでしたが、共感するものがあったのかも知れません。
山中鹿介幸盛公供養塔:上空画像
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-安来市教育委員会
・ 現地案内板
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