安来市: 富田八幡宮

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富田八幡宮
富田八幡宮
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概要・歴史・観光・見所
富田八幡宮(安来市)概要: 富田八幡宮富田八幡宮の創建は欽明天皇31年(570)に大国主命(大己貴命)の分霊を勧請されたのが始まりとされます。天平5年(733)に編纂された出雲国風土記には加豆比乃高社と記され、延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳では式内社勝日高守神社と記されていました。和銅5年(712)に編纂された古事記では大国主命が国造りの際、協力者であった少彦名命が常世国に帰った為、1人になった大国主命が幸魂神によって助けられた場所が月山だったことから月山山頂に幸魂神を勧請して勝日高守神社を、山麓に大己貴神の分霊を勧請して勝日神社を創建したそうです。保元年間(1156〜1159)、藤原景清(平家の武将)が月山富田城を築く際、境内を移す事になり城から矢を放ち刺さった所を霊地として現在地に遷座しました(現在、境内社として勝日神社が鎮座していることから里宮が遷座したと思われます。)。以来、月山富田城の守護神として歴代城主から崇敬庇護され社運も隆盛しました。しかし、誉田別尊の分霊を勧請合祀すると八幡信仰が盛んになり八幡神社が中心的な存在となりました。戦国時代に入ると尼子氏が社領を安堵し、天正3年(1575)には毛利元秋が社殿の造営、慶長4年(1599)には吉川広家が社殿を修造と社領100石を寄進しています。江戸時代に入っても歴代の松江藩主である堀尾氏、京極氏、松平氏から社領が安堵され、特に松平氏は祈願所に定め藩主の武運長久を祈願する共に松江藩の直接支配下となった一社一令社(美保大明神・大野高宮・日御崎大明神平浜八幡宮須佐大宮横田八幡宮)に列しました。広瀬藩領になっても藩主の祈願所として社領34石を安堵され、神主である竹矢氏は御見社家3家(富田八幡宮・野城神社・貴布禰)の上席に列し、社殿の造営、営繕工事等は藩費によって賄われました。明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏式が廃され、明治5年(1872)に郷社、明治40年(1907)に神饌幣帛料供進社、昭和2年(1927)に県社に列しています。現在の社殿(本殿・拝殿・幣殿)は寛政2年(1790)の火災で随神門(神社山門)以外の社殿が焼失した後の寛政7年(1795)に再建されたもので当時の広瀬藩の建築技術の粋を集めた貴重な建物で、作事奉行は吉川梁左衞門、頭領は中井藤三郎(禁裡御大工頭)、森川六右衞門豊武(大阪十八番組大工)、玉右衞門(加賀の名匠)などが手掛けています。拝殿は入母屋、桧皮葺、平入、桁行4間、梁間3間、正面1間唐破風向拝付、向拝の木鼻のは象、欄間には虎、懸魚には鳳凰、妻面には龍の彫刻が施され、妻面は極彩色で彩られています。本殿は三間社流造、桧皮葺、正面3間向拝付。富田八幡宮社殿(本殿・拝殿・幣殿)は江戸時代後期に社殿建築の遺構として貴重な事から昭和50年(1975)に島根県指定有形文化財に指定されています。御祭神:應神天皇。配祀:天照大御神、神功皇后、仁徳天皇。

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