堀尾吉晴の墓(安来市)概要: 堀尾吉晴の墓は島根県安来市広瀬町富田に境内を構えている巌倉寺の一角にあります。 堀尾吉晴は松江藩初代藩主となった人物です。豊臣政権下は秀吉家臣として信任が厚く浜松城(静岡県浜松市)12万石の領主となっていましたが、秀吉が死去すると徳川家に組し慶長5年(1600)の関が原の戦いでも東軍として行動した為、出雲、隠岐24万石の領主となり月山富田城に入りました。2代忠氏が慶長9年(1604)に死去すると、3代忠晴が幼少だった為、吉晴が後見人として藩政を司り慶長16年(1611)、松江城が完成した年に没しました。遺言により吉晴の遺骸はこの地に葬られ高さ3mの五輪塔が建立されました。
堀尾吉晴の墓:上空画像
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-安来市教育委員会
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