広瀬陣屋(安来市)概要: 寛文6年(1666)、松平近栄は本藩である松江藩から3万石(能義郡内1万5千石・飯石郡内1万5千石)が分知され広瀬藩を立藩します。
陣屋は約10万uで正面には堀を廻し、屋敷内には藩庁や倉庫、武器庫、馬場などがありました。緩やかな高台に位置し、陣屋の西と南方向には祖父谷川、北方向には目谷川が流れ天然の外堀に見立てられていたと思われます。
陣屋の正面には武家屋敷が配され、その外側には新町、上町、本町、鍛冶町といった町人町が町割りされました。特に日本海に抜ける広瀬清水街道は物資の搬入路として多くの往来があり、江戸時代後期以降は参勤交代の経路として利用された為、有力の神社や寺院が集められ小規模ながら寺町を形成しています。
明治4年(1871)、廃藩置県が行われると広瀬藩は廃藩、陣屋も廃され、現在は社会福祉センターや広瀬小学校になっています。目立った遺構はなく、僅かな微地形や石積みなどが見られます。
広瀬陣屋:上空画像
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-広瀬町教育委員会
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