安来市(歴史)概要: 安来市は古代出雲国の中心だった地域で、全国最大の方墳である造山古墳1号墳をはじめ大成古墳、清水山1号墳、仏山古墳など首長クラスの墳墓が点在しています。又、素戔嗚尊が「吾が御心は安平けくなりぬ」から安来市の地名の由来となったように神話の舞台でもあり天平5年(733)に編纂された出雲国風土記にも度々登場しています。中国地方から産出された砂鉄は安来に伝わる踏鞴吹き製錬法により良質な出雲鋼として全国に名を馳せ、金属の神を祭る金屋子神社は信仰の対象にもなっています。
奈良時代に入ると教昊寺や、新造院といった大寺院が建立されるようになり中央との繋がりが一層強くなっていきます。鎌倉時代に入ると出雲国守護が月山富田城で政務をとるようになり、この傾向は戦国時代の尼子氏まで続き、出雲国の中心地として発展しました。江戸時代に入ると、中心は松江城の城下に移りましたが、広瀬町は広瀬藩の陣屋町として発展し、安来市中心部は山陰道の宿場町、北前船の寄港地として経済的に発展し周辺地域の物資の集積場となり多くの物資が集められました。
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