鰐淵寺

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概要・歴史・観光・見所

鰐淵寺(出雲市)概要: 浮浪山鰐淵寺は島根県出雲市別所町に境内を構えている天台宗の寺院です。鰐淵寺の創建は推古天皇2年(594)、智春上人が推古天皇の眼病平癒を祈り浮浪滝から流れる霊水で推古天皇の眼を洗ったところ見事快癒したことから、この地に勅願寺を開いたのが始まりとされます。

寺号の鰐淵寺は智春上人が浮浪滝に祈願した際、誤って仏具を滝壺に落すと、滝主である鰐が拾い上人に届けた故事によるものと伝えられています。平安時代、慈覚大師円仁がこの地に巡錫で訪れた際、天台宗に改宗し比叡山延暦寺(滋賀県大津市坂本)の末寺となり、以来、当地方の天台宗の中心的存在となります。

又、鰐淵寺は弁慶の修行寺としても知られ18歳から3年間当寺に入り、その後比叡山(滋賀県大津市坂本)に登ったとされ大山寺(鳥取県大山町)から一夜にして弁慶が持ち帰ったという銅鐘(国指定重要文化財)をはじめ自画像や背負い櫃など弁慶縁の品々を所有しています。

古くから神仏習合し出雲大社の別当寺院として歴代領主から絶大なる庇護となり寛和2年(986)には千年堂と薬師堂が国衙の命により造営され、鎌倉時代には出雲国守護の佐々木氏の庇護になり最盛期には42坊を擁する大寺として大きな影響力を持ちました。

元弘2年(1333)、後醍醐天皇が隠岐に流された際、鰐淵寺南院の頼源大師が随行し宸筆の願文を賜っています。

戦国時代に入ると毛利氏との関係を深め、当時の住職栄芸が尼子氏に呪法を懸けると尼子氏が凋落し、毛利元就の出雲侵攻が成ったとされ、天正5年(1577)に孫である輝元は感謝の意から現在の根本堂を造営しています。

江戸時代に入ると寺領300石が安堵されますが出雲大社が神道よりになった為、中世程の勢は失われました。

鰐淵寺根本堂は天正5年(1577)に造営されたもので、木造平屋建て、入母屋、正面軒唐破風、銅板葺き、平入、桁行5間、梁間5間、外壁は真壁造り板張り、正面2間分は柱のみの吹き放し、室町時代末期の大型本堂建築の遺構として貴重な事から平成元年(1988)に棟札1枚と共に出雲市指定文化財に指定されています。

鰐淵寺境内一帯は歴史的に大変貴重な事から平成28年(2016)に国指定史跡に指定されています。中国観音霊場第25番札所。出雲観音霊場第3番札所。出雲國神仏霊場第2番札所。山号:浮浪山。院号:一条院。寺号:鰐淵寺。宗派:天台宗。本尊:千手観世音菩薩、薬師如来。

鰐淵寺の文化財
・ 絹本著色山王本地仏像−室町時代初期−国指定重要文化財
・ 絹本著色一字金輪曼荼羅図−鎌倉時代初期−国指定重要文化財
・ 絹本著色毛利元就像−室町時代後期−国指定重要文化財
・ 銅造観世音菩薩立像(2躯)−飛鳥時代後期−国指定重要文化財
・ 銅鐘−寿永2年−国指定重要文化財
・ 紙本墨書頼源文書−元弘2年・貞和5年−国指定重要文化財
・ 紙本墨書名和長利執達状−建武3年−国指定重要文化財
・ 紙本墨書後醍醐天皇御願文(2通)−元弘2年−国指定重要文化財
・ 石製経筒(附:湖州鏡)−平安時代−国指定重要文化財
・ その他多数

鰐淵寺:上空画像

懸造を簡単に説明した動画

唐門を簡単に説明した動画

八脚門を簡単に説明した動画

【 参考:サイト 】
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板(由緒)-浮浪山一条院鰐淵寺

鰐淵寺:根本堂・摩陀羅神社・写真

鰐淵寺
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