松江市: 六所神社(国府総社)

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六所神社(国府総社)
六所神社(国府総社)
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概要・歴史・観光・見所
六所神社(国府総社)概要: 六所神社の創建は不詳ですが、天平5年(733)に編纂された出雲国風土記、延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳に記載された古社で、当時は佐久佐神社(祭神:青幡佐久佐日子命)と称していたとされます。出雲国の総社とされ、往時は出雲国の神社を総括する立場にあり国司とも強い結びつき、出雲国の祭事や祈願なども当社で行われ、観応元年(1350)2月には熊野大納言が代参して祭事が執り行われています。歴代国司、守護、藩主から崇敬庇護され、鎌倉時代には社殿の造営、営繕費用として出雲三刀屋郷、乃白郷等の年貢を当社にあてています。天文11年(1542)には大内義隆の出雲侵攻の兵火により社殿が焼失しましたが、その後に領主となった尼子氏が再建し、毛利氏時代には社領の安堵と例祭の再興、吉川元春は鳥居、神馬を寄進しています。江戸時代に入ると歴代松江藩主が庇護し社領の安堵や社宝の奉納は元より、社殿の造営なども国費や藩費によって賄われ、遷宮祭などは代参を派遣して祭事に出席しています。又、意宇郡に鎮座する特に格式が高い6つの神社を意宇六社(熊野大社真名井神社・揖夜神社・六所神社八重垣神社神魂神社)と称し六所神社も含まれ明治時代以前から意宇六社を参拝する「六社まいり」行事が行われています。当初の鎮座地は不詳ですが、出雲国庁が衰退後に現在地に遷座したと推定され、周囲からは正殿の遺構などが発見されています。

明治維新後、式内社佐久佐神社を巡って、同じく主張した八重垣神社と争論となり、八重垣神社に軍配が上がったようですが、何れも決定力を欠き現在も主張しているようです。六所神社の方が出雲国造との関係や鎮座地が国府に近くその後の領主の庇護などから格式が高く、境内社である丁明神社に本来の佐久佐神社の祭神である青幡佐久佐彦命が祀られているなど有力な印象を受けますが、当時の八重垣神社の方が営業力が巧みだったようで、境内社だった佐久佐神社を態々合祀させ、一端、社号を佐久佐神社に改め、青幡佐久佐彦命を主祭に仕立てる事で式内社佐久佐神社を主張し、認められると社号を再び八重垣神社に戻し、祭神も素盞嗚尊、櫛稲田姫に戻しています。

社宝である紙本著色勅使代参向図は江戸時代初期に製作されたもので当時は出雲国総社として朝廷から勅使が参向し、その後も熊野大社の別当職が勅使代としは「御田饌神事」が行われる様子が描かれている貴重なもので島根県指定文化財に指定されています。出雲岡田山古墳出土品は古墳時代後期に築造された岡田山1号墳(県立八雲立つ風土記の丘)の副葬品で中でも円頭大刀は「額田部臣」の銘文が残されている貴重な事から昭和60年(1985)に国指定重要文化財に指定されています。神門(神社山門)は入母屋、桟瓦葺、三間一戸、八脚単層門。拝殿は入母屋、桟瓦葺、平入、桁行6間、正面1間向拝付。本殿は大社造、桧皮葺。大正14年(1925)に県社に列しています。祭神:伊邪那岐命、伊邪那美命、天照皇大神、月夜見命、素盞鳴尊命、大己貴命。

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