宍道町(松江市)概要: 宍道町の歴史は古く、6世紀後半に築造された宍道要害山古墳は多くが破壊されていますが、残された石室の規模からかなり権力のあった豪族が早くから支配していたと思われます。町名の由来となった女夫岩(宍岩:出雲国風土記に記されている猪像とも云われ、猪がいるところから宍道の名が起こったとも。)は高さ5m程の巨石が2つ寄り添うように配置され、周辺からは古墳時代からの須恵器や土師器、近世の徳利などが発見されていることから古代自然崇拝の祭祀場だったとされます。同様に石宮神社(宍道社に比定)にも猪像とされる巨石があります。中世は出雲国源氏佐々木氏を祖とする宍道氏が支配します。
戦国時代に入ると宍道氏は、尼子氏、毛利氏、大内氏と大大名に囲われ、当初は尼子氏の重臣でしたが、尼子氏が衰退すると大内氏に属し、大内氏が衰退すると毛利氏に仕えます。関が原の戦いで主家である毛利輝元が西軍に付いた為大きく領地を減らし防長へ移り宍道氏の支配が終焉します。
江戸時代に入ると松江藩領となり、宍道町中心部は山陰道の宿場町として整備されるます。
宍道宿は宍道湖を利用した対岸貿易や出雲街道の分岐点として多くの物資が集められ、さらに松江藩主が出雲大社の参拝や領内視察で利用する本陣が設けられるなど重要視された為、大きく発展しました。
明治時代も引き続き交通の要衝と宍道湖航路の汽船の寄港地として発展しましたが明治42年(1909)に山陰線が開通すると次第に重要性が失われていきます。
宍道町:上空画像
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