大久保石見守墓(大田市大森町)概要: 大久保石見守長安は、慶長6年(1601)に初代石見銀山奉行に就任すると合計6回石見を訪れ、銀山開発に尽力した人物です。中でも長安が開いた大久保間歩は、石見銀山中最大規模を誇り、銀山繁栄の基礎を築いています。
石見銀山で実績を上げた長安は、佐渡奉行や伊豆金銀山奉行なども兼任し「天下総代官」とも呼ばれ徳川家康からも厚い信任を受け2万石(行政区としては10万石)が与えられました。その他にも関東地方の交通網の整備や一里塚の設置など江戸幕府初期の行政や財政に大きく寄与しました。
幕政で大きな影響力を持ったことから政敵が多く、慶長18年(1616)に死去すると、生前不正蓄財を行い幕府転覆を企てたとの嫌疑を受け、一族関係者全員が処刑され大久保派が一掃されました(大久保長安事件:大久保忠隣・長安等の武断派と本多正信・正純等の文治派の権力争い)。
大久保石見守墓は慶長10年(1605)に長安が菩提寺として開いた大安寺の境内跡に建立されているもので、当初は生前に建立した「逆修墓」が建てられましたが大破した為、寛政6年(1794)に再建され、隣には長安の功績を刻んだ紀功碑も建立されています。
大安寺は庇護者を失った事から衰微し昭和18年(1943)の大洪水で小規模な本堂が大破すると本寺である極楽寺に吸収され跡地には墓地だけが残されています。大久保石見守墓は大変貴重な事から国指定史跡に指定されています。
大久保石見守墓:上空画像
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-大田市教育委員会
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