三宅家住宅(大田市大森町)概要: 江戸時代は石見銀山の地役人だった田邊 の居宅だった建物です。田邊氏の祖とされる彦右衛門が慶長6年(1601)に石見銀山奉行大久保長安に召抱えられると、田邊家は銀山政務の専門家として5代彦左衛門は半田銀山(福島県桑折町)、6代金右衛門が足尾銅山(栃木県足尾町)に派遣されています。現在の建物は寛政12年(1800)の大森大火後に再建されたもので木造平屋建、切妻、桟瓦葺、平入、外壁は真壁造り白漆喰仕上げ、腰壁は板張。敷地の廻りには塀や門が設けられ道路側に庭園が配され、通用口の他式台付きの玄関が設けられる等、当時の武家屋敷の名残が見られます。
三宅家住宅江戸時代後期の地役人住宅の遺構として貴重なことから昭和49年(1974)に島根県指定史跡に指定されています。
三宅家住宅:上空画像
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