新切間歩(大田市大森町)概要: 「御直山」の中では永久間歩、大久保間歩、龍源寺間歩、新横相間歩と共に「五か山」と呼ばれ良質の銀鉱石を産出しました。
新切間歩は正徳5年(1715)に15代官鈴木八右衛門(代官職の赴任期間・正徳3年:1713年〜享保元年:1716年)の命で疎水坑として掘削が始まりとされ享保年間(1716〜1735年)に鉱脈を掘り当てたことから本格的な開発が行われました。
安政5年(1823)には銀掘(鏨で採掘する職人)17人、柄山負(捨石を坑内から運び出す人夫)2人、手子(掘削を手伝う子供)8人が従事していたとされ、その後も掘り進め江戸時代後期には坑口から520mに達しましたが産出が激減した為、休坑となりました。
新切間歩:上空画像
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