吉岡出雲墓(大田市大森町)概要: 吉岡出雲は吉岡隼人と称し、毛利家の銀山役人でした。慶長5年(1600)、毛利家が関が原の戦いで敗北し、石見銀山から去ると、新たに石見銀山奉行となった大久保長安に召抱えられます。隼人は石見銀山だけでなく、伊豆湯ヶ島(静岡県伊豆市)や佐渡島(新潟県佐渡市)の鉱山開発に尽力し、徳川家康から「辻が花染丁字紋道服(国指定重要文化財:東京国立博物館収蔵)」と「出雲」の称号を賜り、長安から知行地500石を預けられました。慶長19年(1614)に死去すると石見銀山山麓にあった極楽寺(現在廃寺)境内に葬られます。現在の墓碑(宝篋印塔:高さ179cm、塔身幅55cm、戒名:先雲州信広院殿大誉宗弼居士)は吉岡家8代幡五郎良勝が文化10年(1813)に再建したもので昭和53年(1978)に大田市指定史跡に指定されています。
吉岡出雲墓:上空画像
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-大田市教育委員会
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